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僕の過去のお話①

今日から3回にわたって

僕の36年の人生で起きた大きな奇跡に近いことで

起きた転機のお話をしようと思います。

 

1回目はことは遡ること21年前

僕の高校入学の話をしようと思います。

と、その前に僕が10歳26年前の

お話からスタートします。

 

僕の実家は自営業を営んでおり

小さいながらに家が忙しいことは

わかっていました。

なぜか小さい頃から野球が好きで

野球をしたいけど

当時の少年団は親ありきで

共働きのうちでは

絶対に叶わないことは

わかっていたし

言われてもいました。

近くの空き地で

野球ぽいことをすることが

子供の頃の楽しみでした。

でもやっぱ

少年団に入りたかったんです、、、

多分なんでもよかったんです。

そんな時に

バドミントンの少年団ができました。

今でこそ世界一の

日本のバドミントンですが

当時は

え?体育館でやるの!?

みたいな立ち位置で

インキャの人がやるイメージでした。

僕も本音で言うと興味はなかったのですが

目新しさから僕の中のいい友達が

みんな入団。

また1人になってしまうわけです。

一応親に言うも

もちろんアウト。

諦めてはいたので

まぁそんなもんやろって感じでした。

そんな中、急に店に友達と

顧問の先生がお店にやってきたんです。

この日が僕の人生が大きく変わるのに必要な1日でした。

顧問の先生は何を思ったのか

僕の友達と一緒に

親の手はかからないようにするから

バドをさせてあげないか?

と僕の前で話をし始めました。

あれよあれよと

僕はいつの間にかバドをすることに

その日に家の玄関でみんなが

肩叩いたりハイタッチしたり

と一緒に喜んでくれた

あの日は忘れられません。

この時に友達の大切さを切に感じました。

 

 

バドを初めて気づいたのは

本当にインキャの集まりだったので

これ簡単に1番なれんじゃね?

ってやつですw

野球とかサッカーとか陽のあたりやすい

スポーツしてる人たちって

運動神経も言い訳です。

でもバドですよ!

いけちゃうんですw

ごめんなさい偏見だし今は違うと思いますw

 

そのまま僕は気持ちのいいお山の大将に、

はなが長くなった天狗ちゃんになります

最強の井の中の蛙の出来上がりですw

そこで1つ目の試練がやってきます。

マイナースポーツすぎて

進学先の中学にバドミントン部がないw

部活はまたもや親の大反対にあい断念。

もう中学の中で新しい友達だの

仲間だのを作るのを諦めた瞬間でした。

今思うと部活してようがしてまいがあんま関係ないし大げさだけど

当時の僕はなぜか帰宅部イコールかっこ悪いだったので

学校がクソつまんなかったですw

なんでだったんだろ、ほんとつまらなすぎて

ほとんど記憶ないしつまんないの塊でしたw

何かスポーツはしていないと自分が保てなかった僕は

社会人のサークルでバドを続けます。

バドは好きだったので楽しかったのは覚えているし

親に営業終了後夜体育館まで連れて行ってもらっていたのは

感謝しています。

しかし

試合に出れないわけです。

中体連の。

流石に気づきます。

こりゃーバドでの先が見えたなって、、、

 

ところが奇跡が起きます。

 

当時県総体12連覇県大会50数大会連続負けなしの高校から声がかかったんです。

 

奇跡としか言いようがありませんでした。

1番驚いたのは僕、その次は校長

なんてったって当時の校長は

僕が試合に出たいって懇願すると

お前みたいな奴が学校の名前を使って

出ると学校の名前に傷がつく

恥をかかされたくないから

出場なんてさせない

と許可を出さなかった人だからです。

校長、監督、僕のなかで

校長の一言目はなぜこの子なんですか?

でした。

嫌だったんでしょうね

自分の中の恥さらしが評価されたのがw

まぁでも僕もびっくりなわけですw

話を聞くととんでもない裏話が、

あーこれは文章に残すとまずいので

今度BOND内での

ユーチューブですこーし話します。、、、

まぁ話せる範囲だと

近所の高校の監督さんが

その高校の前任の監督さんで

欠員を埋めるために

社会人の指宿の小さな小さな大会を見て

なんか中学生いるじゃんで声かかったのが僕w

奇跡ですよねw

でもこれに乗っかるのがまた僕の性格w

もう目の前のチャンスにはすぐに飛びつきます!

でもこれが地獄の始まりでした。

 

入学当時2つ上の先輩は凄まじく強く

全国8のダブルスがいたり

なんなら県大会ベスト4

独占みたいな感じで本当にすごかった、、、

当たり前のように僕は練習についていけず

毎日練習が終わっても家に帰っても

トレーニングし続けた。

秋になり新チームになる頃には

体ができてきたのと

基礎を教えてもらったことで

なんと奇跡のメンバー入りw

先輩が1人故障したのと

1人の先輩の伸び悩みが要因でした。

そして九州選抜を風邪で奇跡のメンバー落選と

本当にアホみたいな奇跡を起こしまくりましたw

 

おまけに1つ上の世代が連覇を止めてしまします。

なんと僕はその歴史的敗北のメンバーです。

負けたら全てが終わることを

17歳で知りました。

 

ただここでまたわかってきたのは

これはここでは1位にはなれないのではないかという現実です、、、

 

同い年には九州チャンピオンで日本代表のジュニアの

合宿に呼ばれるような人までいてどんどん話されていく

現実と勝ちたいのについてこない結果に

オーバーワークによる故障。

 

最後のインハイの予選でも

僕は決勝で負けメンバーが勝ち優勝。

 

インハイには連れて行ってはもらうも

僕の勝たないと惨めだということを

知るには十分すぎる現実を突きつけられるのでした。

もちろん個人戦でも勝つことはできず

九州大会止まり、、

僕のバドミントンの選手生活は

県で個人タイトルをとりたいという

思いだけを残し幕を閉じました。

 

僕の何事も

結果が全てだという根本はここでできました。

 

余談ですが僕の結果が全ては

結果が悪い時は過程が悪いから。

だから過程がいいから結果はいいは

ありえないし失敗を認めないなら

取り組まない方がいいという思いがあります。

 

はい脱線しましたが、

僕はこの勝ちたい1番になりたいという思いを持ちながら

バドミントンの神様は奇跡を2度と起こすことなく僕の

高校生活とともに終わりを告げました。

 

しかし

 

社会人になり僕は舞台をかえ1位になんどもなります。

 

奇跡は仕組まれたように起き続けるのです。

 

次は社会人コンテスター編です。

 

2話目

3話目