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首は下げるためにある

首は下げるためにある

僕の好きな言葉です、でも10年前の僕にこんな言葉を言っても全く通用しなかったはずです、それくらい僕は自分勝手な人間でした。今もそうかもしれません。でも僕なりにではありますが人のために生きることが今は生きがいになっている気がします。

ウルルではウルル独自の価値観が存在しています、もちろんどこの会社様にもそれがあるでしょう。

例えば、困ったときはすぐに白旗をあげて人を巻き込みなさいと言っています。もちろん足掻くことは大切ですが、もっと大切なのは人に迷惑をかけないことです、これは失敗するなとは真逆です。挑戦し、無理なら助けを求めろということです。たくさん失敗していいんです。ただできなかったことをいつの間にか人からしてもらっていたではなく、人にしてもらう。同じように聞こえますが僕の中では大きく違います。そしてしてもらったことに感謝しそのスキルを盗み自分のものにすることで知識やスキルは伝承され手伝った人への恩返しになると僕は考えます。

人は頑張っている人に手を差し伸べたくなる生き物だと僕は思っています。逆を言うと人はその人の目標を聞くと応援すると言うことです、だから目標を言うことがどんなに人を巻き込んでしまうのかを覚悟しなくてはなりません、軽はずみなやる気という名の思いつきに時間と労力を奪われ時間を使いそしてその準備や心がまえは無駄になりショックを受けさせます。それくらい目標や目的は簡単に変えてはならないものだと思っています、よく聞くずっと考えていたと言うワードのずっと考えるに来月から自社では定義をつくろうと決めています。僕みたいなおっさんは1ヶ月前とか昨日みたいなもんなので。

時代は考えないことを正解とする教育に変わり社会に出てから苦しむ教育が続いています、意図的に歯車を作りたいのでしょうホウキではわくことを頼むとちりとりには入れません、右を拭けと言えば左はチェックすらしません。それが現代の正解です、言われたことをしっかりする、だけれどもこれでは現場では全く使いもになりません、現場は洞察力で成り立っています、しかしながらこれは現代では理不尽なんです、、、

僕ら昭和の人間が歩み寄らなくてはいけません、そして妥協に妥協を重ね理解という言葉でパテ塗りした自分を作るしかないでしょう、時間をかけ信頼関係をつくりそこで自分の考え方を相手に少しづつ写し込んで現場で生き抜く力を少しづつ渡していく、それだけだと思います、そのために自分がまずは成長し、会社内での正解を作る必要があると今は考えています。

いずれにしてもまずは頭を下げ人に頼んだり人にお礼を言ってみるというのを始めるのもいいかもしれません、何を当たり前のことを、と思うかもしれません、しかし自分の中に誰かにしてもらうことは当たり前になっていることがきっとあるはずです。

腰は低く、首は下げるためにある。

言葉の通りまずは態度で感謝を現すのもいいかもと思う朝でした。

では!

 

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