get app

ダウンロードはこちらから

僕の過去のお話②

前回僕の学生の頃のお話をしました。

自分の過去の話をがっつり書くことは

本当に恥ずかしの1択ですねw

 

でもやります。

 

実はこの三部作届けたい団体のメンバーがいて書いています、

必要ない方には本当になんなん❔

って話なのですぐに離脱しましょうw

 

はい、第二弾は僕が社会人になってからのお話で

コンテスターだった頃のお話です。

 

僕は高校を卒業して

県外の大学に行きたかったのですが

なかなか思うようには行かず

ヘア産業への道を歩むことを決めます

18歳だった頃の僕はクソ野郎で

どうやったら

簡単にやめられるのかを考えていました。

嫌だったんですなんか理美容関係に進むのが。

だから一般の方とは全く違う

形で業界に入ります。

世はカリスマ美容師戦国時代

戦国の世にやる気のない少年が

ヘア産業会に投げ出されることになるのです。

しかしこれが不思議な出会いが起きます。

 

やる気のない僕はまず求人票を見ませんw

なので行ってたサロンにとりあえず電話して

断られます。

ダローネw

で、親が同業者だったので

ディーラーさんにお願いして

サロンを見つけてもらいます。

ここで1つ目の出会いの奇跡が訪れます。

 

最初に話がかかったサロンのオーナーさんは

僕の話を聞き即戦力が欲しい

という理由で話を蹴ります。

この人が僕の師になる人になります。

で話は伝言ゲームのように

なんか店探してるらしいよ!

ってことでくるくる話は回ります。

そして伝言ゲームは

最初のサロンに帰ってきたのです。

僕の師匠はその時に

2回も来るなら何かの縁だからという

ボランティアみたいな理由で僕を受け入れてくれるのです。

ここで僕の人生が変わります!

いつか書いた

ブログのようなことが起きるのですが

そこを経て僕はとりあえずサロンワークに

入り始めます。

当時通信過程で免許を取ろうとしていたので

それもまた自分の中ではめんどくさいクソ野郎でしたw

サロンに入ってから1月たち

忘れもしない5月7日

僕に師匠がこう言います。

「コンテストにでろ。」

、、、

まだ何もできないんですよ僕w

しかもこう続けます。

『出場することに意味はない出るなら勝て』

思いましたね。

あー僕は勝たないといけない

ところに身を置く運命なのだなと。

もちろん勝つことに対する取り組み方は

高校の時に死ぬほどすり込まれているので

勝つための練習をしました。

大会は6月中旬

実はこれを機に僕は

研究団体TEAM ZERO

という団体に所属します。

これがまた僕のコンテスター人生に

火をつけることになります。

この団体は各サロンでコンテストで結果(1位)

を求める人たちの集まりでした。

あくまでこの時は県内での話です。

僕がでた種目はワインディングという種目で

この仕事の登竜門

平たくいうと

パーマのロット巻きです。

やり込んだつもりでしたが

結果は全然、、、

確か6位くらいだっただったと思います、、、

他のメンバーは僕とあと1人をのぞいて

全部門優勝

思いました。

またこれか。

結局負け組はどこで何をやっても

負け組かと。

でも仕事の楽しさをこの1ヶ月で

覚えてしまったんです。

見抜いていたのでしょう、僕が

そういう場でモチベを保ったり

レベルが上がりやすいことを。

僕の中でやめるという選択肢が無くなります。

ここで普通なら1位を目指すのでしょうけど

練習に意味が見出せず

コンテストに関しては2年間負け癖がついてしまいます。

例えば

・上のレベルの部門だから仕方ない

・この経験年数でここまで来れたらok

・たくさん出てんだから3位でもよくない

・この大会のレベルからしたらいい方でしょ

 

はっきり言いますクソです。

 

やらない言い訳

負けたことを認めない

自分の低次元さを理解しない

もう底辺の発想です。

この発想では一生負け犬です。

しかし何を思ったのか

4年目の大会で全国大会に行くとか言い始めたんです。

理由は会場が北海道だから。

、、、

不純ですよね。

でもこれが練習し始めるきっかけになります!

この時のコーチしてくれた先生が

ガチの怖い人で普通に蹴る。

もう本当に高校に逆戻り。

昨日は触れませんでしたけど

男子校だったので想像通りの

とんでもないルールもたくさん、、、

これはまた今度!

 

でねこのコーチが僕にいうんです

『できないのになんで寝るの』

ってw

もうすごくないですかwww

でもこれ今はわかります。

言葉には真意があるわけです。

こんなこと言ってますが

当時はこれがストレスで

喉に2センチくらいの

口内炎がふたつできて

食べ物が喉を通せなくなります。

食べてたけど食べ物でまた炎症のところに

当たって味とかじゃなくて

痛みしかなく唾を飲むのも激痛

難病指定かもしれないと病院側が大騒ぎ。

そして僕はこの体調のまま

コンテストに出場します。

当時の練習時間は

21時から0時まえくらい

サロンワークが8時出社の21時くらいでした、、、

結果僕はそのコンテストで

0.1ポイント差で負けます。

このまけが僕の人生を変えます。

その夜は大号泣に大号泣

ここで目標が達成されないと

いろんな人の時間を奪い

思いを汚し自分が無価値になることを

知りました。

大げさかもしれませんがこれは

目標を口にするものの義務です。

目標は達成されないと

心に大きな傷を残します。

もっというと傷にならないのくらいなら

それは本気ではなかったのではないかと。

次の年の向けて練習が始まります。

1年かけて寝る時間を最大まで削ります。

当時3〜5時間に設定していました。

下手くそはできるまでやる時間が必要です。

センスを努力で凌駕しなくてはなりません。

僕凡人なんで。

当たり前ですが倒れます。

もう少しでやばいことになっていたらしいのですが

水を飲まなすぎていたようですw

水を飲む時間が勿体無かったんですよね当時w

この時に自分のギリギリを学びました。

出場じたいも考えましたがそのまま

出場。

結果は優勝。

ここから7年間部門を1度変えながら

負けることはなく

鹿児島の代表を背負い

戦うことになります。

この時師匠は

県大会は通過点で結果ではないと

よく話してくれました。

僕もそう思っていました。

 

さぁここです。

 

人は足りることを知らない生き物です。

満足はしません。

県チャンピオンになりたかった僕は

全く県チャンピオンで嬉しくなかったんです。

RPGでボスを倒すと次のボスがいるんです。

 

ここから長くなるので端折りますが

7年間死ぬほどやります。

練習時間はもっともっとと増えていきました。

 

・休日という概念をなくす。

・夜中目が覚めた時に練習できるように

家の鏡の前にウイッグを設置

・練習タスクを決めてできるまでやめないシステム

(これは途中でやめました)

 

県7連覇

南九州三冠(メンズ・レディース・消費者審査)

関西の大会MVP二回

全国大会7回とも選外

 

結論から言うと

僕は目標の日本1になれませんでした。

7回代表をしたということは7回負けたということです。

恩返しに失敗した人生を過ごしています。

ここはまたあとで触れます。

 

これ全部かくと量やばいのでここまで

丁寧に描いたんですけどもっと端折りますw

 

コンテスター時代に起きたとんでもない経験

・モデルが前日にとんで、

1人で大阪に行き夜中の2時までモデルハント。

・京都の山奥でボードを持って目標を叫ぶ

・関東の大会でよそ者扱いされ控え室に入れてもらえないw

・日本ナショナルチームの合宿にモデルで参加、本物との違いを知る。

・遠征先で宿泊先が予約できておらず収納庫を借りてすのこの上で宿泊

・台風なのになぜか飛行機が飛び、降りたら交通網ストップ

ネカフェの空きスペースで体育座りで就寝。

 

ほんの一握りのことですがこんなことが起きました。

これ描いてると何万文字になるかわからなくて

読む方もすでにしんどいのにもっとしんどいので

かなり簡略化していきます。

深掘りして聞きたいのがあればスポットで描きますのでいってくださいw

 

でね、こんなことをやりながら今に活かせてることは

 

・ホームは戦いやすい

・名前で負けるな

・達成できなかった努力は努力不足

・効率のいい努力という言葉に逃げるな

・やらなくて見えないことなら失敗して覚えろ

・やってない外野のやじを気にするな

 

と言うことです。

 

僕は県外で戦うメンタルを持つのに

かなりの時間を要しました。

正直自分と戦っていたのではなく

情報をあつめるために調べていた

名前にビビっていました。

しかし京都であった日本一になりたい人が集まる

合宿で世界チャンピオンや日本チャンピオンに

ご指導いただきコンテストになった時に

あー、県や名前は関係なくてただ力だなって感じたんです。

意外と僕は僕の立ち位置を知らなかったんだな。

僕はこれができていてこれができないただそれだけだと

気づいたんです。

今まで何か見えない巨大な化け物と戦ってきましたが

1番は自分自身と向き合うこと。

それだけだったんです。

そこからはどんな大会にも動じなくなりした。

自分は自分だから。

人間は人間というワンジャンルだから。

自ずと結果は付いてきます。

欲しがっていた結果も目の前です。

しかしここでアクシデント発生。

資金と時間のショートです。

僕はコンテストに多額の時間とお金を使っていて

最後の1年は独立していてスタッフもいました。

自分の練習に明け暮れていた僕は全ての時間をそこに

使っていたのでスタッフの練習もしかと見ず

自分のことばかりスタッフの不満はたまります。

時間とお金、立場、もう僕にはあとがなかったんです。

僕はそこで残り1年にかけコンテストに取り組みます。

 

そして人生をかけた本番、結果は

選外。

実は本番で欲をかいた僕は普段やらないことを

してしまいスタイリングできなくなり終了。

もう今思ってもバカですw

 

その日でコンテストをやめました。

踏ん切りがついたのは

ある先生が

毎年あと一年って言うよね

って言葉で

確かに!ってなって練習を次の日からやめましたw

何だったんでしょうねw

でもそこから数ヶ月は朝が苦しかったです。

だって昨日までは

日本一になるための1日が

何も先のない1生負けたままいきていく毎日だから。

でもあの言葉のおかげで僕は

経営者の道を歩み始めるのです。

 

この7年で学んだのは

・目標はいつの間にか高くなり人は足りることを忘れる

・いつぞやの目標は昔話になり次のチャレンジでは通過点でしかなくなる

・夢は人に支えられて求められる

・夢は大きくなればなるほど応援者は大きくそして太くなる

・本気になればなるほど自然と目の前に必要な誰かが現れる

・叶えられなかった時それは目指した人にか見えない地獄がある。

・無くした夢はそこを補うように次の目標が自然と現れる

・今自分に起きていること全てに感謝。

 

今何かを目指している方、自分の中で本気で取り組もうとしている方がいる思う。

人生1度くらいは本気で何かに向き合った方がいい。

ただ本気で何かに向き合うと言うことはそれなりの覚悟も必要だと言うことを忘れないように。

 

 

次回はこんな劣等感と目標を失った僕がそれを

また超えるものを見つけた

経営者編(現在まで)です。

 

1話目

3話目

 

 

 

 

ウルルのメルマガ登録はこちらから


 

ソーリー! 石ヶ崎 里保 のブログはございません!